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真っ暗な空虚感は大いなる源泉への扉

昨日の仕事中、パソコンのキーボードを打ちながら、不意に虚無感に襲われた。

虚無感の後に襲ってきたのは、焦燥感だった。
「私は、今、こんなことをしている場合ではない。他にもっとやるべきことがあるはずだ。」

虚無の中に吸い込まれるようにして、胸の底から脱力していく自分に気づきながら、キーボードを打つ手を止めて、その手を組んだ。

この底知れぬ真っ暗な空虚感は、今に始まったことではなかった。

遡れば、物心付いた小学生の時からだろうか・・・

この感覚は、「今、自分がやっていることは正しいことではない」というサインのようだ。

「正しい」とは、他人や世の中の尺度ではなく、自分の中の羅針盤が示すものであり、自分の魂だけが知っている呼び声のようなもの。

その声は、世間体や安定した収入、社会的地位などに掻き消されて、今にも消えそうだ。

しかし、突如として、その声は私の中に蘇る。

それは、どんなことをしても、何があっても、決して私の中から消えることのない、大いなる生命の灯火のようだ。

しかし、その声もまた、その後まもなくしてPC画面に入ってきた一通の面白可笑しいメールによって、掻き消されてしまった。



翌朝、目が覚めたベッドの中で、その声は再び、私の意識に浮上した。
胸に空いた真っ暗な空虚感は、冷たい風が吹くブラックホールのようで、底なし穴に落下し続けているかのような空恐ろしさに襲われる。

私は、この空虚感を埋めるために、必死で考え出した。
「現状を変えるために、何をどう考え、どのようなアクションを取れば良いのか?」

しかし、その思考に掴まって付いて行き、必死に考え続けても、これと言った終着地には辿り着くことができなかった。

携帯のアラームがなり、目覚めた時に確認した時間から2時間が経過していた。

思考に付いて行くことに疲れ果てた私は、半ば降参するような気持ちで、胸の中の真っ暗な空虚感をひたすら感じることにした。

ベッドの中で、仰向けになりながら、胸に手を当てて、その果てのない空虚感を抱きしめるようにして、ただただ、感じ切るのだ。

意識を向ければ向けるほど、胸の中の空虚感は存在感を増し、私の意識の中に入っていくのが分かった。


その空虚感を感じ続けていくうちに、ふとそれが、湧き上がる命の源泉に触れたかのような感覚に変わった瞬間があった。


私は、自分の胸の中に感じる圧倒的なそのエネルギーに触れ、当惑した。

このエネルギーが何なのか、どうすればいいのかわからなかった。

しかし、マグマのような強さを持つ命の息吹のようなその感覚を抱きかかえながら、このエネルギーが何なのか知る必要もないように感じた。

ジャッジせず、ラベル付けせず、ただ感じるだけで、いいような気がした。

目が覚めた4時40分から、3時間近く経っただろうか。

私やようやくベッドから身を起こし、胸の中に渦巻く途方もないエネルギー感覚を抱きかかえたまま、

「このエネルギーをただ、感じよう。気付いていよう。そして、その赴くままに生きよう」

と思った。

感じるために、思考はいらない。
むしろ、思考は、感覚を曇らせる邪魔な存在であるように思えた。

ただ、自分の中を蠢く大いなる生命の息吹を感じながら、ただその流れの赴くままに従って生きることが出来れば、その人生は、何か偉大なことをしなくても、何か特別なことをしなくても、それだけで素晴らしいような気がする。

生きるとは、この世に与えられた生を全うするとは、そういうことであるような気がする。

by bebalanced | 2015-01-07 08:14 | Enlightment
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