卒業制作の講評

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木曜日は卒業制作の講評だった。

印象に残った先生の言葉は、
「美大というのは、特に、卒業制作というものは、
大学という場の「内」で、新しいデザインの可能性を試みるところ。
Bebaさんの作品は、もう「外」に出てしまっているよね。
「事業」「仕事」としてはいいけれど、大学の卒業制作としてはちょっと・・・、
というところをわかっていてほしい」
というものだった。

約1時間の講評が終わって、先生の言葉を自分なりに咀嚼するうちに、
私が在学中にずっとずっと抱いていたジレンマやフラストレーションの原因は、
この先生の言葉に凝縮されていると思った。
(もちろん、他にも数え切れないほどたくさんあったけれど)

要は、大学が求めるものと、私が目指すもののギャップがあったのだ。

社会人として学ぶ以上、私がデザインを学ぶ目線は常に大学の「外」にあって、どんな課題をやるにしても、学んだことを還元できる「人」や「社会」の存在を常に意識していた。

卒業制作に取り組むにあたっても、「既存でないもの」や「新しい取り組み」という視点は大切だと思ったし、大切にしたつもりだが、大学が求めるところの「デザインの新規性」そのものについては、結果として優先順位が低くなってしまった。
なぜなら、卒業制作のターゲットを設定したとき、ターゲットは大学が言うところの「デザインの新規性」は求めていないと思ったからだ。

だから、大学側の要求と自分の中のデザインを学ぶ必然性が衝突するたびに、
ジレンマやフラストレーションを感じたけれど、結局のところ、
大学のために勉強しているんじゃないし、卒業することが目的じゃないし、
だったら大学側の目的や意図に迎合する必要もないと思いながら、制作を続けてきた。

だから、大学側の評価ははっきり言って、どうでもいい。

ただ、卒業制作を提出したということは、大学という「機会」を利用して、また、大学による「評価」というプレッシャーをうまく利用して、自分のやりたいことができたという点で、意味のあることだったのかもしれないと、今は思うのだった。
だって、機会がなかったらデザインを学ぶこともできなかったし、評価というプレッシャーが無かったら、こんな大変なもの、絶対に途中で投げ出していたと思うから。




<ほめられたこと>
・これだけの量、よくがんばりました。
・アイコンがいい。
・写真が良く撮れている。
・表紙のビジュアル・オピニオンがいい。
・文章が読めました。
・アンケートは短期間でよく集まったね。
・これだけできれば、仕事にできるんじゃない?

最後の一言が一番嬉しかったなぁ。
手に職つけたい、という気持ちで美大に入ったというのもあったから。

<今後の課題>
(プロの目から見ると、改善点は言い出したら切りが無いけど、という前提で)
・写真のレベルが高いものと低いものがまばらなので、高いレベルに統一するとよい。
・「はじめに」の頁をデザイン的にもっと充実させる。ここが肝。
・プロフィールの位置付けを再考すべし。
・HPとFreeBookのヒントのアイコンのテイストをそろえるとよい。

ごもっともです。少しずつ反映させていこうと思います。
それにしても、プロの目から見た改善点、というところがもっと知りたかった。
そのための講評じゃないか!と思うんですけど、これもまた大学側のスタンスと私のニーズとのギャップですね。。。もう自分でやってくしかないんです。

ちなみに、写真は帰り際に撮った吉祥寺キャンパスの校舎。
なんの情緒も感じさせない無愛想な建物だと思っていたけど、唯一、夕暮れ時や夜は、ちょっとだけ血が通ったような表情を見せてくれる。
もうこれで見納めかと思うと、一瞬、感慨深かったので、写真に収めてみたら、一気に肩の力が抜けて、あぁ、これで気持ちよく帰れる、と思ったのでした。
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by bebalanced | 2008-09-26 22:44 | Art&Design
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